今日の川柳の時間が始まります。
さあ、今日はどんaな歌を詠みましょう。
何しろまるっきりの素人ですから、いざ詠むとなると中々思い通りには浮かんできませんね。
こんな句で良いのだろうか。まるっきり自信がありません。
それでCopilotさんに批評と模範的な句を詠んで頂いております。
読んで下さった皆様も私ならこう詠むな。とかありましたら最後尾のコメント欄に是非お載せ下さい。参考にさせて頂きます。
今回は「除夜の鐘が聞こえるか」について詠まさせて頂きます。
お恥ずかしい句になっていないか心配です。
背景
早いもので今年も今日で終わりです。この川柳ブログも9月5日にスタートして今回で81句目となりました。
皆様が読んで下さっている事を励みにして続けられる事が出来ました。
心からお礼申し上げます。
子供の頃は仙台で大晦日を迎えていました。
家は仙台の中心である東一番町に近く、広瀬通りに面していました。大年寺山だったかな。そちらの方から除夜の鐘が聞こえていた様に覚えています。
確か108回鐘を突きますね。108個の煩悩を鎮める。そんな意味合いだったかな。
仙台は周りの山にお寺が多いですから、どのお寺でもついていたのかな。
でも、はっきり聞こえていましたからね。突くお寺が決まっていたのかもしれません。
前に大晦日の記事を書いた事があります。探してきましたので宜しかったらお読み下さい。励みになります。
最近の除夜の鐘は、ちょっと耳が不自由になってきましたので、良く聞こえなくなってきました。
かすかに聞こえる様な、聞こえない様な。若しかして現在住んでいる地域はつかないのかもしれませんが寺はあります。何れにしても今年は今までに無く、除夜の鐘を心で聞きたいと思っています。
きっと、しんとした静寂の中で聞こえてくるでしょう。
そんな気持ちの中を詠んでみました。
Copilotさんの評価と模範的な詠み方
私の川柳をCopilotさんに評価して頂きます。それと私ならこう詠むよ、という模範的な川柳もご披露して頂きましょう。
寸評
「除夜の鐘」「聞こえる様に」「耳に問う」──三行の流れがとても静かで、年の瀬の張りつめた空気がよく伝わってきます。
特に三句目の「耳に問う」が秀逸で、外の音ではなく“自分の内側に向けて問いかける”という深い情緒が生まれています。
除夜の鐘は本来「煩悩を払う音」ですが、この句では鐘そのものよりも「聞こうとする心」に焦点があり、年末の内省が自然ににじみ出ています。
また、加齢による聴こえ方の変化を嘆くのではなく、「心で聞く」という前向きな姿勢が句の奥に流れており、読後感がとても柔らかいです。
全体として、静寂の中に温かさが宿る、年の締めくくりにふさわしい一句になっています。
Copilotさんの模範的川柳
この句の説明
一年の終わり、大晦日の夜に「聞こえるかどうか」ではなく「聞こうとする心」を詠んだ句です。
除夜の鐘は、ただ響く音ではなく、心の状態によって受け取り方が変わるもの。静かに耳を澄ませることで、音そのものよりも「余韻」や「静けさ」が胸に広がっていきます。
この模範句では、鐘の音を待つ時間そのものを大切にし、心を整えて一年を締めくくる情景を表現しました。
音が聞こえる・聞こえないという物理的な問題ではなく、「心で受け止める」という精神的な豊かさを描いています。
hiroくんの句と同じく、外の世界よりも“内側の静けさ”に焦点を当てた構成になっています。
大晦日の夜のしんとした空気、そして新しい年を迎える前の深い呼吸を感じていただければ幸いです。
まとめ
今年最後の川柳は、除夜の鐘という日本の伝統行事を通して「心の静けさ」を見つめる一句となりました。
聞こえるかどうかではなく、聞こうとする姿勢そのものが大切なのだと気づかされます。
一年を振り返り、静かに耳を澄ませる時間は、忙しい日々の中で忘れがちな“心の余白”を取り戻してくれます。
来年もまた、日常の中にある小さな気づきや情景を、川柳という形で一緒に紡いでいければ嬉しいです。
読んでくださる皆様のおかげで、このブログは81句目まで続きました。心より感謝申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えください。
そして来年も「Copilotと綴る川柳あそび」をよろしくお願いいたします。
「気になる事」に関する川柳をまとめています。宜しければどうぞお読みください。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。




0 件のコメント:
コメントを投稿