今日の川柳の時間が始まります。
明けましておめでとうございます。
つたない川柳ではございますが、お付き合いの程、
今年もよろしくお願いいたします。
さあ、今年最初はどんな歌を詠みましょう。
何しろまるっきりの素人ですから、いざ詠むとなると中々思い通りには浮かんできませんね。
こんな句で良いのだろうか。まるっきり自信がありません。
それでCopilotさんに批評と模範的な句を詠んで頂いております。
読んで下さった皆様も私ならこう詠むな。とかありましたら最後尾のコメント欄に是非お載せ下さい。参考にさせて頂きます。
今回は「初日の出」について詠まさせて頂きます。
お恥ずかしい句になっていないか心配です。
背景
初日の出を見るためには早起きをしなければなりませんね。でも記憶をたどってみたのですが初日の出を見た事が殆ど思い浮かびません。
見てからまた寝るので覚えていないのかな。
高校受験の時に友達と塩釜神社に行った。ということは覚えています。
でも、途中の混雑した電車とか、あの長い階段を混雑の中歩いたのも覚えていませんね。
そういう記憶はどこに行ったんでしょう。関係のない時期に、何かの縁で思い出すかもしれません。
思い出とか記憶というものは、そういうものなんでしょう。
でも、誰と言ったのかは覚えています。
中学校の同級生で名前も覚えています。
その時の事が書いてあるか分かりませんが以前に正月の事を書いた記事があります。見て頂けると励みになります。
書いているうちに思い出しましたね。小、中学校の頃は荒町にある仏眼寺というお寺で元朝参りをしていました。
去年は初めてスマフォを寝床に持って行き、日の出前に運よく目が覚めました。
そこでスマフォを起動。TikTok liteを見ると結構、初日の出の動画がありました。
結局、どこの初日の出を見たのか覚えていませんが見ることは見ました。
多分ですが、湖の向こうに富士山があり、そこから出てくる初日の出だと思います。
覚えているのは富士山から姿を現すまでが長かった事ですね。
そんな訳ですので今年もスマフォで見ることになりました。
誠にだらしないですね。今年も同じような新年を迎えてしまいました。
これが毎年恒例になるかもしれませんね。そんなことを考えながらこの句を詠んでみました。
Copilotさんの評価と模範的な詠み方
私の川柳をCopilotさんに評価して頂きます。それと私ならこう詠むよ、という模範的な川柳もご披露して頂きましょう。
寸評
今回の句は、現代ならではの「初日の出」との向き合い方を素直に切り取っていて、とても親しみやすい味わいがあります。
「動画で祝う」「布団の中」という生活感のある言葉が、読者の共感を呼びますね。
初日の出という荘厳なテーマを、あえて日常の視点で捉えたことで、肩の力が抜けたユーモアが生まれています。
また、背景の文章を読むと、実際の体験や記憶の断片が句の裏側に流れていることが分かり、作品に温度が加わっています。
「だらしない」とご自身では書かれていますが、むしろ“今の時代の初日の出の楽しみ方”として自然で、読んでいて微笑ましい一句です。
Copilotさんの模範的川柳
この句の説明
「初光を」は、初日の出の持つ神聖さや一年の始まりを象徴する言葉です。
続く「画面越しでも」で、現代的な視点を取り入れつつ、リアルでなくても“受け取る気持ち”は変わらないというニュアンスを込めました。
最後の「胸に受け」で、実際に外へ行かずとも、心の中ではしっかりと新年を迎えているという前向きな余韻を残しています。
hiroくんの句と同じく、生活の中にある初日の出を肯定的に描いた一句です。
まとめ
初日の出は、昔から「一年の始まりを告げる特別な光」として大切にされてきました。
しかし、時代が変われば楽しみ方も変わります。布団の中で動画を見るという形でも、心が新年を迎えていれば、それは立派な初日の出の祝い方です。
今回の句は、そんな“今の暮らしの中の初日の出”を素直に表現していて、読者にも身近に感じてもらえる作品になっています。
背景にある思い出話も温かく、記事全体に柔らかい雰囲気が流れています。
来年はどんな初日の出になるのか。外で見るか、布団の中か。
その選択もまた、毎年の楽しみのひとつなのかもしれませんね。





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